記念式でワインとパンを食べたい。

敬虔なクリスチャン家族で育ったらこうなった。。愉快な元神権家族の日常。。

誕生日は生首の日。

こんばんは、マルタです(•ө•)♡


先日、マリアのお誕生日でした。
それはそれは盛大に華やかにお祝いしました。


Jwの幼少期は誕生日は祝ってもらえませんでした。あの恐怖のヨセフの生首の話を毎年されるわけです。『〜だから祝うのは、相応しくないのよ。ただ、全ての源であるエホバに感謝して。』




いや、わかるけど、わかんねーよ。(・ัω・ั)


子供はただ無条件に
おめでとうって言われたい。

一年に一回ぐらい自分だけが
スペシャルな主役でプリンセスな日が
あってもいいじゃないか。


それを全て、エホバのおかげって。
わたしは両親にありがとうって言いたかった。



そんな抑圧のなかにいると
誕生日は生まれてきて本当によかったのか
ダレのおかげでダレのために生きるのか
後悔と苦悩する日になっていったわけです…




なので、大人になり組織を離れ
誕生日を祝えるようになり
誕生日は両親に家族に支えてくれている
みんなに感謝する日だと初めて知ったわけです。


誕生日に初めて両親に
産んでくれてありがとうって言えた時
私が感動して泣いてしまった。

当たり前のこと、当たり前の表現を
なんで今までしてこなかったのだろう。

こんなにも魂から感謝と伝える喜びが
溢れ出してくるのに。



それから、毎年
自分の誕生日には両親に感謝の言葉を送ります。



大いなる神も大事だが
今、私がココにいられるのは
両親のおかげだから。

まあ、JWの大いなる神は組織のことで
もともとズレてるけども。




誕生日は大切な日です。

この世に性を受けて
何の氏名=使命を持って生まれたのか。

愛する人と共に
今まで生きれた奇跡に感謝する。


ただそれだけのこと。
誕生日の喜びと感謝を奪って
組織は何をしたかったのかな?と
ふと思いだしたマリアの誕生日でした。



書き殴りでごめんなさい(ヽ´ω`)



そんなかんじで今日はここまで。
読んでくださってありがとうございます☆


マルタ٩(๑´3`๑)۶